四日市市水沢地区 公式サイト

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水沢地区の紹介

水沢町ってどんなところ?

水沢地区は人口約2,900人、1,100世帯。四日市市の南西端、鈴鹿山脈の麓、伊勢茶の栽培が盛んで、茶畑が広がっており、四日市の奥座敷として風光明媚な景色に恵まれた、自然豊かな町です。

 

夏は避暑地として、宮妻峡ではキャンプやバーベキューを楽しむことができ、秋には色とりどりの紅葉を観に、地区内外からの来訪者でにぎわっています。

 

有名な生産品として「伊勢茶(かぶせ茶)」がありますが、お茶ばかりでなく、パンジーやシクラメンなどの花や野菜の栽培も盛んです。

 

水沢町の歴史

鎌ヶ岳、雲母(きらら)峰のふもと、内部川上流の扇状地に広がる水沢は、古来「杉沢の荘」「川上杉村」と呼ばれてきましたが、室町時代になると「水沢村」と呼ばれるようになりました。水沢は古くから「茶」の栽培が盛んで、その起こりは平安時代、地元の僧侶が唐伝来の茶の木を植えて栽培したのが始まりとされています。

1889年(明治22年)の市町村制で水沢村となり、1957年(昭和32年)に四日市と合併、同時に従来から深い関係にあった野田地区が鈴鹿郡三鈴村から分かれて水沢に編入し、現在に至っています。

 

時代西暦年号事項
垂仁天皇100
135
 杉澤の荘と称す川上杉村と称す
高見に兎角城を造る(現在の足見田神社)
奈良770宝亀1薬王山性元寺を開基創建する(山の坊本郷)
平安810~822
901~922
1073
弘仁1
延喜1
延久5
飯盛山浄林寺創建する
(西野)飯盛山浄林寺の僧玄庵、寺境内に茶の種子を播く
冠山茶の木原性元寺改め常願寺と号す
鎌倉1300正安2坂田信濃守重次、山崎に城を造る(現在の東條城山)大福社(鏡谷社)を建立する(現在の谷町)
南北朝1384元中1光明寺、山の坊本郷に建立する(現在の宮妻町)
室町1501~1503文亀1水沢村と改める
安土桃山1577天正5津田氏、東條に陣屋を置く(現在の小学校体育館)
江戸1648
1720
1789
1809
慶安1
享保5
寛政1
文化6
辻久善 水論解決のため江戸に赴く
お諏訪踊りの始まり
浄林寺を現在の地に移し、飯盛山一乗寺と改める
第9代藩主 土方義苗侯 楓渓と命名する
明治1875
1889
明治8
明治22
水沢小学校を常願寺の堂内にて開設する
水沢村役場を置く
昭和1957昭和32四日市に合併

 

水沢町のまつり

花まつり 毎年4月1日 場所:一乗寺

「花まつり」はお釈迦様の降誕を祝して行われます。寺の境内に花御堂をつくり、その中の水盤に誕生仏を安置し、参詣人はその頭上に杓で甘茶をかけます。揃いの法被で着飾った子供たちが、お釈迦さまの故事にちなみ「小象」にみたてた曳きものを「茶」の発祥の地ともいわれる「一乗寺」まで町内を練り歩き、お釈迦様の降誕を祝します。

 

献茶祭り(新茶まつり) 毎年4月29日 場所:足見田神社

茶業の振興を祈願するもので、氏神でもある「足見田神社」で行われます。香り高い新茶を奉納し、雅楽が流れる中、舞姫(地元小学6年生女子)が「浦安の舞」など古式ゆかしい舞を披露します。境内では新芽のてんぷら、茶娘が新茶を振る舞います。またクイーン四日市がオープンカーに乗り、町内をパレードし、境内周辺では撮影会も行われ、にぎわいます。午後からは水沢茶農業協同組合にて新茶の初セリが行われ、県下を始め愛知、京都、大阪などから茶業者が集まり、そろばん片手により良い新茶を威勢よくセリ落とします。

 

水まつり 毎年7月31日 場所:足見田神社

水沢の水の旱魃について江戸時代の庄屋「辻 久善」が瀬戸用水工事に着手され、隣村との争いや江戸での訴訟費用など完成には大変苦労されたことから、村人が先人の偉業を称え「お諏訪おどり」が始まり、現在も保存会により受け継がれ、水まつりで奉納されています。「お諏訪おどり」は市の無形文化財に指定されています。

 

もみじ祭り 毎年11月下旬~ 場所:宮妻町山之坊 もみじ谷

市制100周年を記念して開催され、現在も行われています。四日市の奥座敷ともいわれ、沢山の観光客が訪れもみじを観賞されています。開催日(日程は不定)の開会セレモニーでは音楽を楽しんでもらおうと、地元の太鼓演奏や、楽器演奏が開かれます。また、クイーン四日市の撮影会や写生大会、ウォーク大会が行われます。地元物産品も販売される模擬店も開催されます。

 

いなり祭り(厄除け福餅まき神事) 毎年2月4日 場所:足見田神社

足見田神社で厄年を迎えた方々が厄払いをした後、舞姫(地元小学生)が雅楽演奏のもとに舞を奉納する。その後、厄年を迎えた方たちが舞姫とともに紅白の幕が張られた舞台に上がり、当神社に奉納された餅などをまく。