天文7年、織田信長による伊勢侵攻の際、この地の2城(坂田丹後守城・加治信濃守城)が焼き討ちとなり、のちに信長の遺臣、津田八郎五郎が水沢を治め、ここに陣屋を置き、地区の安定に努めました。陣屋とは屋敷を構えた居館で、小藩を治める大名の住まい「代官所」ともいわれました。
四日市市水沢町